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起業の歩み

self branding 経営ブログ

「仕事と家族と自分について」考えてみた

 

2017-01-16

都市部と地方
両方で活動を続けていると

会社員の方
起業志望の方 問わず

以下のような悩みを
それぞれからお聞きします。

都市部では

「都市部はライバルが
多過ぎるから地方で
勝負した方が良いのかな?」

一方、地方では

「やはり田舎は人(企業)が
少な過ぎる都会に出て
勝負すべきなんだろうか?」

双方の話はどちらも間違いではなく
それぞれ一理あると思います。

どちらも経験した
個人としての意見をまとめます。


「地方の難しさ」と
「都会の厳しさ」


都市部でも
地方でも

それぞれ全く異なる
難しさがあり
厳しさがあります。

それは自分自身が一番
身に染みて分かっています。

20代前半のころ

地元では
仕事もチャンスも少ない

都会に行けば
チャンスがあるんじゃないか?

何か変わるんじゃないか?

安易にそう考え
大阪へ移りました。

しかし

現実は
圧倒的に優秀なライバル
その途方もない数でした。

そこで何とか
結果を出せるようになり

今度は
「やれているつもり」
地方へ事業展開すると

地方では

パフォーマンスの
高い低いの前に
地元地域への深い関わり
信頼や貢献
「しがらみ」などから

受け入れてさえ
もらえませんでした


東京や大阪の都市部では
「地元」や「外」など
「どこの人」や
「いつ来た」は
ビジネスをはじめる上で
それほど影響しません。

そんなことよりも
パフォーマンスや
実績が問われます。

でも
地方では違う


それは
地元を離れた僕も
例外ではありません。

だからこそ

地方で事業をするには
そこへ
住み込み
地域への貢献や
様々な根回しなど
準備を整えなくては

何も始まらないと
強く感じました。

地方にはそういう
「難しさ」があります。

地方で事業を成功させるには
地域へのメリットを明確にして
地元の人を巻き込んで
一緒に盛り上げて行くことが
必要不可欠です

都市部から
自己の利益を目的に
ライバルが少なく
簡単だろうとなめてかかると
致命傷になります。

むしろ
地方の方が難しい

地方の方が難しいのに

人口は少なく
密集率も低い

つまり

時間効率も
営業効率も悪い

だから
地方には企業が来ない

企業が来ないから
若い人が出て行く

だから

しがらみはより濃くなり
「新しい」を
始めにくくなる。

インターネットの普及で
最近は「場所を選ばない」と
言われていても

地方に入れば
その現実がとても
よくわかります。

以前 地元に帰省したとき
それを強く感じて

なぜか直感的に
「自分が解決すべき問題だ」

そう感じて
地元での事業を
決断しました。


どのレベルでやるか?


地域と事業と人が
共に成長できる町づくりに
貢献するための1つとして

起業(フリーランス
志望者への起業サポートを
行っています

起業と言っても
その目的は様々で

仕事で大きな成果を上げて
社会にインパクトを与えたい

という人もいれば

会社に束縛されず
自由に働きたい

という人もいます。

それを
「どのレベルでやるか?」

そして
「今どのレベルなのか?」

この2つは
とても重要です。

中には

「デキるヤツは
既に自分でやっている!」

そんな意見もありますが

これについては
森岡 康一 さんの考えが
とても参考になりますので
以下でご紹介します。

例えば高校のラクビーで
指導者がいない中で自分たちだけで
ハウツー本をいっぱい読んで
それ通りに練習して「日本一」の
メソッドをやっている「つもり」に
なっている事に似ていると思います。

当の本人達はわからないなかで
頑張ってはいますし
手も抜いてはいません。

でも公式戦では勝てないし
全国大会にも当然行けない。

実践では
理論だけでは通用しないし
文章では伝わらない隠された哲学や
意味があったりするものです。

でも同レベルの相手と
練習試合すると勝ったりできる。
この時点で「勝てた経験」をするので
できてる「つもり」になる。

どうでしょうか?
「自分でやる」というのは

「どのレベルでやるか?」
に対して
「今どのレベルなのか?」
「どうやるべきなのか?」

これを知る上で
とても大きな不利となります。

そして

森岡さんは
もう一つ大切なことに
触れています。

アドバイスをしたり
やり方をわかる範囲で
教えたりするんです。

で、ありがちなというか
ほぼ大半どうなるかというと

「わかります。
それはすでにやってます。」
的な・・

結局、私としては話をきいて
足りていないと思う部分を
アドバイスしてるんですが

当の本人達は
やってる「つもり」になって
聞いてくれないことが多いです。

これもつまりは
「どのレベルを目指す上で」
「どのレベルが求められるか?」

ということであり

当人たちが正確に
「今どのレベルなのか?」を
把握していないからこそ
起きることだと思います。

これは
もちろん自分自身にも
当てはまることなので
「目指す目的」
「現在のレベル」に
応じた指導を
第三者の方へ
常にお願いしております。

意外に知られていませんが
コンサルタントの方でも
別なコンサルタントの方へ
依頼することは
よくあることです。

むしろ

自分を客観視するために
そうでなければ
ならないと思っています。

それくらい
自分のことは
よくわかりません。


ばかなことを
しようと試みる。
ばかなことだけが
人生を紡ぐ方法。


先日 目にした
コピーライターの
田中 泰延 さんの記事に
こんな言葉がありました。

人生をかたちづくっているのは
ほとんどの場合
うまくいかなかったことだ。

うまくいったこと
その時点で達成されたことは
過去になってしまう。

達成されたことは
片付いてしまうことなのである。
成功体験などというものは
過去そのものなのだ。

それに対して
現在とはなんだろう。

ばかなことを
してしまった
自分だけが
自分の意識をかたづくっていく

過去の過失に対する
挫折感、罪悪感。

そして、それを
どう捉えているか
どう処理していくか。

それこそが現在で
未来へつながって
いくのではないか。

それが人生そのものだ。

これを読めば

失敗は避けるものではなく
積み重ねていくもので

たくさん挑戦して
たくさん失敗する

そこに成長があり
それこそが人生だ

そう聞こえ
「自分のやりたい」へ
ただ真っすぐに
上を向き
凛と胸を張れます。

40歳になって
時間の有限、人生の限りを
これまでよりさらに
強く実感するようになりました

あと10年経てば50歳
20年経てば60歳

本当にやりたいことを
悔いが残らないような1日1日を
大切に生きて行かなければ
強く感じています。

これまではどこか
「上手く生きて行こう」
そんな感じがあったと思います。

でも40歳からは
「やりたいように生きてみよう」
そういう想いが強くなりました。

「やりたいように」
そういうと

たまに「家族は?」
出て来たりもしますが

これも結局

「家族を幸せにできる
自分でありたい」

「親孝行した
自分でなければ
幸せを感じれない」

つまり

「自分のため」であり
「自分のやりたい」
解釈しています。

ただやっぱり
「どのレベルでやるのか?」
これは同じです。

「ただ食わせればいい」

「大きな家に住ませてあげたい」

「家族全員の夢を叶えてあげたい」

どのレベルでやるのか?に対して
その覚悟は大きく変わってきます。

そして、その覚悟に比例して
挑戦やリスクも大きくなります。

僕自身、家族に一番 見せたいのは

「自分の可能性を信じて
失敗を恐れず、挫折に負けず
挑戦し続ける姿勢」です。

僕自身の仕事は
「成し遂げるため」であり
「家族を食べさせる」では
ありません。

「養う」は結果的にであり
「目的」ではありません。

奥さんや子供が
それぞれの夢を叶える自分に
なるために
もっとも必要なことは

僕自身が目的に向かい
挑戦を続け
たくさん失敗する中で
それでもあきらめず
目的を達成させていく

どんなに批判されても
どん底だと思っても
自分だけは自分に期待する

これを仕事を通して
伝えることができたらと
考えています。

よく言われるところの
「魚を与えるのか」
「魚の捕り方を教えるのか」
この違いだと考えています。

そして
これも結局は

そうしたい
「自分のタメ」なんです。


「凄い人」ではなく
「なりたい」と思われる人へ


最後に

僕は会社員時代
大阪で毎日
日付が変わっても
働いていたことがあります。

そういう人は
都市部では正直
珍しくありません。

そうやって
管理職になって
家を買って
家族を養う

そういうものだし
当たり前だと思ってました。

そして

家を買ったとき
奥さんが子供に
「パパ凄いね」と
伝えてくれました。

すると

当時小学1年生だった
長男は

「パパは凄いけど
僕はパパになりたくない!」

そう言いました。

恐らく
会社の後輩とかも
同じ意見だったと
思います。

これは本当に
考えさせられました。

小さな息子が
「パパみたいになりたい」

そう思わなければ
この先この子に
何も伝えることが
できないんじゃないか?

そこから
考え方、働き方、関わり方
全てが変わったように覚えてます。

世の中には
「凄いな」と思う人は
確かにたくさんいます。

でも
「なりたい」と思える人は
少ない。

「ああいう人になりたい」

「うらやましい」より
「凄い」よりも

「ああいう人になりたい」

それ以上が見つからないほど
大きな価値だと感じます。